町の社会保険労務士がGeminiで給与計算チェックを月25時間から1時間に:ミス件数もゼロに

町の社会保険労務士がGeminiで給与計算チェックを月25時間から1時間に:ミス件数もゼロに
「また計算ミスがあった。今月で3件目だ……」
深夜11時、事務所の電気だけが煌々と灯っている。画面には数百行に及ぶExcelのデータ。目が霞んで、同じ列を何度も確認しているのに、どこかで数字がズレている。そんな夜が、毎月月末になるたびに繰り返されていた。
私は岩手県盛岡市で小さな社会保険労務士事務所を構えて12年になる、佐々木健一(仮名)といいます。顧問先は中小企業を中心に32社。給与計算の代行も請け負っており、毎月末は文字通り「戦場」でした。スタッフは私を含めて3名。そのうち給与計算に関われるのは実質2名。残業が常態化し、疲弊しながら精度を保つことの限界を、ずっと感じていました。
この記事では、そんな状況をGeminiの活用によって劇的に改善した実例をお伝えします。導入から半年が経った今、現場で感じたリアルな話をそのままお伝えしたいと思います。
なぜAI導入に踏み切ったか:限界を超えた月末の現実
転機は2025年の10月でした。その月、私の事務所では給与計算のミスが4件発生しました。うち1件は、顧問先の会社の社員さんに誤った給与を振り込んでしまうという事態に発展し、先方の経理担当者から「信頼して任せているのに、なぜこんなことが続くのですか」と、静かだけれど重い言葉をいただきました。
その夜、私は正直に考えました。「これは人間の力だけでは、もう限界なんじゃないか」と。
当時の給与計算チェック業務は、以下のような流れで行っていました。まず各顧問先からタイムシートや勤怠データをFAXやメールで受け取り、Excelに手入力。そこから社会保険料・雇用保険料・所得税を計算し、前月との差異を目視で確認する。32社分をこなすのに、私とスタッフ合わせて月25時間以上かかっていました。
AIについては以前から気になっていたものの、「難しそう」「セキュリティが心配」という印象があり、手が出せずにいました。しかしあの電話の後、私はとにかく調べ始めました。社労士向けのコミュニティで名前が上がっていたのが「Gemini」でした。特にGemini Advancedは、長文のExcelデータや複数シートの内容も一度に処理でき、「チェック作業」との親和性が高いという声がいくつも見つかりました。
「試してみるだけ試してみよう」。その一歩が、すべての始まりでした。
具体的な取り組み:Geminiをどう使ったか、全手順を公開
ステップ1:まず「何をチェックしてほしいか」を言語化した
Geminiを使い始めて最初に気づいたのは、「何でもやってくれる」わけではなく、「何をやってほしいか」を自分がきちんと言語化する必要があるということでした。これは逆に言えば、自分の業務を整理するいい機会でもありました。
給与計算チェックで私が毎月確認していた項目を書き出してみると、大きく以下の7項目になりました。
- 基本給・各種手当の変更漏れ
- 残業時間の計算ミス(割増率の適用誤りを含む)
- 社会保険料の標準報酬月額との整合性
- 雇用保険料率の適用誤り
- 所得税の源泉徴収額の正確性
- 前月比較での異常値検出(±20%以上の変動など)
- 入退社者の処理漏れ
これを書き出したとき、「あ、自分はこれだけの項目を毎月頭の中で同時に処理しようとしていたんだ」と改めて気づきました。人間の目と記憶だけでやるには、確かに無理がある。
ステップ2:個人情報を除いた「チェック用データ」を作る仕組みを整備
Geminiに給与データを渡すにあたって、最初に取り組んだのが個人情報の匿名化です。社労士として、顧問先の従業員の個人情報を外部サービスに流すことへの慎重さは当然あります。
そこで私はExcelのマクロを使って、以下の変換を自動で行うシートを作りました。
- 氏名 → 「従業員A」「従業員B」などの連番に置換
- 生年月日 → 年齢(年代)のみに変換
- 住所・マイナンバーは列ごと削除
- 社員番号は社内コードに置換(元のコードとの対応表は事務所内のみで保管)
このマクロ自体はGeminiに作り方を聞きながら整備しました。「ExcelのVBAで、A列の氏名を従業員A・B・C…と連番に置き換え、元データとの対応表を別シートに保存するマクロを書いてください」とプロンプトを入れたら、動くコードが一発で出てきたときは正直驚きました。
ステップ3:実際に使っているプロンプト集
以下に、私が毎月実際に使っているプロンプトを公開します。コピペして使えるよう、できるだけそのままの形で掲載します。
プロンプト①:前月比較による異常値チェック
以下は、ある会社の今月と先月の給与データです(個人情報は匿名化済み)。各従業員の支給総額・控除総額・差引支給額について、前月比で±20%以上変動している項目を全て抽出してください。変動があった場合は、変動額・変動率・考えられる原因を一覧表形式で示してください。データ:[ここにCSVまたは表形式のデータを貼り付け]
プロンプト②:残業代計算の検算
以下のデータを使って、残業代の計算が正しいかチェックしてください。計算式は「基本給 ÷ 月平均所定労働時間 × 割増率 × 残業時間数」です。月平均所定労働時間は160時間、法定内残業の割増率は1.0倍、法定外残業(月60時間以下)は1.25倍、深夜残業は1.5倍です。計算が合っていない行は、正しい計算値と差額を示してください。データ:[貼り付け]
プロンプト③:社会保険料整合性チェック
以下は従業員の標準報酬月額と今月控除された健康保険料・厚生年金保険料のデータです。2026年度の協会けんぽ(岩手県)の保険料率表をもとに、各従業員の控除額が正しいかどうかを確認してください。誤りがあれば、正しい金額と差異を表で示してください。データ:[貼り付け]
プロンプト④:入退社者の処理確認
今月の給与データを見て、以下の観点でチェックしてください。①入社月の従業員:日割り計算が正しく行われているか ②退社月の従業員:最終月の社会保険料の控除タイミングは正しいか(退職日が月末かどうかで変わります)③雇用保険・社会保険の加入条件(週20時間以上・2ヶ月超勤務見込み)を満たしているパートタイマーで、未加入のケースがないか。データ:[貼り付け]
プロンプト⑤:最終チェック・サマリー出力
上記のチェック結果を踏まえて、今月の給与計算における「要確認事項」を優先度順にリストアップしてください。優先度は「高:金額誤りあり」「中:要確認・要相談」「低:念のため確認推奨」の3段階で分類してください。また、前月と比較して特に注意すべきトレンドがあれば一言添えてください。
ステップ4:ワークフローの全体像
現在の業務フローはこうなっています。月末に顧問先から勤怠データを受け取ったら、まず既存のシステム(給与計算ソフト)で通常通り計算を完了させます。その出力結果をExcelに書き出し、先述のマクロで匿名化。GeminiのAdvancedプランにCSVまたは表形式で貼り付けて、プロンプト①〜⑤を順番に実行します。Geminiが返してきたチェック結果を確認し、「要対応」の項目だけをピックアップして修正する。これが1社あたり平均2〜3分で終わるようになりました。32社でも合計1時間程度です。
失敗談と改善:うまくいかなかったことの方が学びになった
失敗①:「最新の保険料率」をGeminiが知らなかった
最初の1ヶ月、私はGeminiに「現在の協会けんぽの保険料率で計算してください」とだけ伝えていました。ところが、Geminiが参照していた保険料率が古いバージョンだったため、チェック結果が実態と合わない事態が発生しました。特に介護保険料率は年度ごとに変わることがあり、知らずに古い数値でチェックしていたのです。
改善策:現在は毎年4月に、協会けんぽの公式サイトから保険料率表をコピーしてGeminiのプロンプトに直接貼り付けるようにしています。「あなたが知っている料率ではなく、以下の料率表を使ってください」と明示することで、ズレがなくなりました。
失敗②:データ量が多すぎてGeminiが「整合性を保てない」ことがあった
ある顧問先は従業員が85名おり、1シートに全員分を貼り付けてチェックを依頼しました。Geminiは処理してくれたのですが、後から確認すると一部の行が抜け落ちていることがありました。トークン(処理できる文字数の上限)の制限で、データの途中から処理が不安定になっていたようです。
改善策:30名を超える会社は2〜3回に分けて送るようにしました。また「今回は従業員A〜従業員30番までのデータです。全員分を処理したか最後に確認してください」とプロンプトに件数を明示するようにしました。抜け漏れが格段に減りました。
失敗③:Geminiの回答を「盲信」してミスを見逃しかけた
これが一番怖い失敗でした。チェック開始から3ヶ月目、Geminiが「問題なし」と返してきたデータを私がそのまま通してしまいそうになりました。実はその中に、育児休業から復帰した従業員の社会保険料免除の終了処理が漏れていたのですが、私がプロンプトにその観点を含めていなかったため、Geminiもチェックしていなかったのです。
スタッフの一人が「念のため」と確認してくれて発覚しました。
改善策:「Geminiがチェックしていない観点」のリストを作りました。育休復帰・産前産後休業中の保険料免除、役員報酬の変更届、70歳以上の従業員の厚生年金適用除外など、特殊ケースは別途チェックリストとして人間が確認する運用にしました。AIと人間の役割分担を明確にしたことで、むしろ以前より網羅性が高まりました。
成果・数値:導入前後のBefore/After
導入から半年(2025年11月〜2026年4月)の実績をまとめます。
項目 | 導入前(2025年10月以前) | 導入後(2025年11月以降) | 改善率 |
|---|---|---|---|
月間チェック作業時間(合計) | 約25時間 | 約1時間 | 96%削減 |
給与計算ミス件数(月平均) | 2〜4件/月 | 0件/月(6ヶ月連続) | 100%削減 |
チェック1社あたりの平均時間 | 約45分 | 約2〜3分 | 約94%削減 |
月末残業時間(スタッフ含む合計) | 平均32時間/月 | 平均4時間/月 | 87.5%削減 |
顧問先からのクレーム・問い合わせ数 | 月2〜5件 | 月0〜1件(主に制度変更の確認) | 大幅減少 |
Gemini Advancedのコスト | — | 月2,900円(個人プラン) | — |
数字だけ見ると劇的ですが、体感としてはもっと大きな変化があります。何より「月末が怖くない」という感覚が戻ってきました。以前は月の最後の1週間、常に胃のあたりに重いものがあったのですが、今はそれがない。スタッフも「夕方6時に帰れるようになった」と言っています。削減できた月24時間は、新規顧問先の開拓活動や、既存顧問先への踏み込んだ労務相談に充てられるようになりました。
応用・発展:給与計算以外にも広がったGemini活用
給与計算チェックでGeminiへの信頼と使い方のコツをつかんだ後、他の業務にも活用の幅が広がっています。
36協定の超過アラート
毎月の残業時間データをGeminiに渡し、「36協定の限度時間(月45時間・年360時間)に対して、現在の累計がどの程度か、超過リスクの高い従業員を警告してください」というプロンプトで自動集計するようにしました。以前は顧問先から言われて初めて気づくケースがありましたが、今は私の方から先手で連絡できるようになりました。
労務相談の事前調査
顧問先から「育休取得後の給与はどうなる?」「試用期間中の解雇は可能?」といった相談が来たとき、Geminiで最新の法解釈や判例の概要を下調べしてから回答することで、対応時間が半分以下になっています。もちろん最終的な判断は私自身が行いますが、情報収集のスピードは格段に上がりました。
就業規則の変更点チェック
法改正があった際、既存の就業規則と改正後の法律を並べて「抵触する可能性のある条文を指摘してください」というプロンプトを使い、顧問先ごとの就業規則の見直し優先度をつける作業にも応用しています。2026年の育児介護休業法改正対応では、この方法で32社分の初期スクリーニングを3時間で完了できました。
まとめ:「完璧じゃないAI」をうまく使うことが大事
Geminiは万能ではありません。最新情報を知らないこともある。データ量の限界もある。特殊ケースを見落とすこともある。それは使ってみてよくわかりました。
でも、「完璧じゃないから使わない」と言っていたら、あの深夜の残業地獄から抜け出せなかった。大切なのは、Geminiにできることとできないことを把握して、人間とAIの役割分担を設計することだと思います。「単純繰り返し・大量データの比較検算」はAIに任せ、「特殊ケースの最終判断・顧問先への説明」は人間が担う。その切り分けを明確にしたとき、初めてAIは本当に使えるツールになりました。
社労士業界は「人の仕事」が多く、AIには向かないと思われがちです。でも、給与計算チェックのような「正確さが求められる反復作業」は、実はAIが最も得意とする領域です。月25時間が1時間になったという事実が、そのことを証明してくれていると思っています。
同じような悩みを抱えている士業の方、まず小さく試してみてください。プロンプト1本から、現場は変わります。
※本記事に登場する人物名は仮名です。数値・事例はプライバシーに配慮した形で掲載しています。Geminiへのデータ入力にあたっては、必ず個人情報の匿名化処理を行ったうえで使用してください。また、給与計算・労務管理に関する最終的な判断は必ず専門家(社会保険労務士)が行ってください。